『剣道の日』

 明石市の高丘剣道教室です。
 皆さん11月3日ってなんの日かご存じですか?
 11月3日は、暦では『文化の日』ですよね。
 実は、11月3日は、『剣道の日』でもあるんです!!知ってましたか??
 そもそも、剣道はどうしてはじまったのでしょうか?
 剣道の歴史の始まりは日本刀の出現と同時だそうです。彎刀(わんとう)で鎬造りの刀は日本独特で、平安時代の中頃に出現しました。応仁の乱より始まる戦乱の時代に、剣術流派が相次いで成立しましたが、鉄砲の伝来により、戦闘方式は軽装備の白兵戦へと移っていきます。この変化に合わせ洗練された刀法が確立され、新陰流や一刀流などの諸流派に統合されていきました。江戸幕府の開府以後、平和な時代が訪れると、剣術は人を殺す技術から武士としての人間形成を目指す「活人剣」へと昇華し、技術論のみでなく生き方に関する心法まで拡がりました。
 新たな基軸を打ち出したのが直心影流の長沼四郎左衛門国郷です。長沼は正徳年間に剣道具(防具)を開発し、竹を革で包んだ「袋しない」で打突し合う「打込み稽古法」を確立したそうです。これが今日の剣道の直接的な源です。その後、宝暦年間に一刀流の中西忠蔵子武が鉄面、竹具足式の剣道具(防具)を用いて打込み稽古法を採用すると、多くの流派に波及しました。江戸時代後期には、「四つ割り竹刀」が発明され、胴もなめし革を貼り、漆で固めたものが開発されました。この頃、千葉周作は、打突部位別に竹刀打ち剣術の技の体系化をはかり、「剣術六十八手」を確立させたそうです。
 明治維新となり新政府が設置されると、武士階級は廃止、帯刀が禁止されたことにより、剣術は下火になっていきました。その後、1877(明治10)年、西南の役を契機として、警視庁を中心に復活の兆しが見えはじめました。1895(明治28)年には、剣術をはじめとする武術の振興を図る全国組織として大日本武徳会が設立。
 1912(大正元)年には「大日本帝国剣道形」が制定されました。全国に数百あるといわれた剣術流派を、この剣道形に統合するというものです。また剣道形は、日本刀による技と心を後世に継承するとともに、竹刀打ち剣道の普及による手の内の乱れや、刃筋を無視した打突を正すという役割を担います。戦後は、「日本剣道形」と名称を変え、現在も広く修錬されています。1919(大正8)年には、従来の剣術や撃剣という呼び名から「剣道」に名称を統一したそうです。
 第2次世界大戦後、連合国軍の占領下におかれ、大日本武徳会も解散の憂き目に遭い、壊滅に近い状態にあった剣道ですが、1952(昭和27)年に独立を回復すると、いち早く全日本剣道連盟が結成され、復活のスタートを切りました。今日では、学校体育の重要な一部分を構成するとともに老若男女を問わず庶民の間に広がり、数百万人に及ぶ幅広い年齢層の愛好家が竹刀を持ち、ともに稽古に励んでいるそうですよ!
 長々となりましたが、剣道の始まりなんて改めてしることで、また意識が変わるのではないでしょうか?子ども達にも、生涯スポーツになるよう、剣道を楽しんでもらえればと思います!!
 さて今日の西小の稽古は、大人数での稽古となりました!人数が集まると、活気も違いますね!!
 基礎稽古からかかり稽古まで、子ども達も一生懸命頑張る姿がみられましたよ!!かかり稽古では、いつもは、先生方一列での稽古ですが、今日は2列!!相手をしていただき、子ども達の稽古にも拍車がかかります!!益々強くなれるよう頑張ってほしいですね。
 コロナも少しずつ増加稽古にあります。今年は、インフルエンザも流行するかもと言われていますので、体調には充分に気をつけ、無理のないよう稽古に励んでいただくようお願いします。

高丘剣道教室

明石市にある剣道教室です。子どもから大人まで、初心者から有段者まで。

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